2009年8月20日木曜日

sado, niigata. 佐渡、新潟 その⑨

今回からは佐渡で行ったインタビューを小出しに紹介していく。

一応、正確に「ここからがインタビューで、ここまでが会話」という区切りをつけていたわけではないが、24名の方にインタビューをとれたことになっている。それ以外にもいろいろとお話を聞けた方もたくさんいるが、ノートを取ってなかったり、気づいたら終わってたり、など、ちょっとインタビューとして載せるには自分で納得がいかないものは割愛した。

論文では24人の方々を10グループに分けた。行政系・観光系・企画起業系・商業・農業などなどである。今回は行政系の5名の方々のお話を簡単にまとめたい。敬称は省く。

市役所で

  • Oさんは今回の滞在で最初に連絡を取った数人のうち一人で、唯一予め面会の予約をしていた方である。なので、いちばん聞きたいことを聞けた。「佐渡は都市ブランディングをしているか?」という質問である。答えはNOだった。それ以外にも旧10市町村から佐渡市に変わった際の話や、佐渡市になったからこそ目指さなければならない、「佐渡の~」という佐渡の特産の必要性を伺った。事前にお願いしておいたデータをしっかり提供して下さり、さらには佐渡トートバッグまで頂いた。
  • Nさんは滞在でホストをして下さったTさんの活動仲間ということで紹介をして頂いた。Nさんには特に、佐渡の地域おこし企画である、「佐渡おこしチャレンジ事業」を説明して頂いた。これは3年間を上限に上限が100万円で事業の7割の補助をするという太っ腹な企画である。また、鬼太鼓等、地域文化の継承に関してもお話を聞けた。曰く、保守の高齢層の元気が低下したおかげで、よそ者が入りやすくはなってきているらしい。

新穂センターで

  • Sさんは、やはりTさんの紹介で知り合え、アンケート回収で圧倒的な協力を頂けた。インタビューでは特に、合併前後の新穂についてうかがった。旧新穂村は、合併の是非を村議会で会議した際、かなり賛否が拮抗したらしい。それは、旧新穂がお金はなくともそれなりに健全な村運営を行っており、下降気味の他市町村とくっつく必要性が問われたからだそうだ。ちなみに、なぜあの「平成の大合併」が行われたかすらもよくわかっていなかったのだが、それについても簡単に説明して下さった。今後として、「経済成長ではなくて新穂の特徴の継続」ということを仰っていた。新穂パラダイムである。ちなみに、それはやはり農業中心である。

新潟県佐渡地域振興局で

  • OさんとHさんのお二人からお話を伺った。Tさんが理事を務めるしま海道の総会で挨拶をさせて頂き、お忙しい中無理を言ってお時間を頂けた。特に伺いたかったのが、佐渡市と新潟県佐渡地域振興局の関係である。市がよりローカルにいくのに対し、県はバランスをとる存在らしい。それは、県内の地域間のバランスだったり。だが、やはり役職がかぶる部分も多々あるらしいので、その辺は市との協働でやっているそうだ。また、県の最上位計画には「佐渡がどうの・・・」ということはないが、振興局を通して、県が佐渡にどう貢献できるかを提示している。

以上の5名の方々行政系グループからのインタビューである。

インタビューを振り返って考えてみると、全く関係ないことなのだが、「公務員面白そうだなー」という、私のキャリアプランを考えるきっかけになったのがとても楽しかった。様々な分野の様々なアクターが様々な形でまちづくりを実践しており、どの視点からそれに携わりたいか、というのをこの論文が書き終わる頃には決め始めなければならない。その中で、一番どっぷりやれるのが、市町村なんだろうなー、という結論に達した。県は国と市との連絡だったり、県内各地域のバランスだったり、これもとても刺激的である。今の公務員人気は安定を求めた、何となくネガティブな人気のように感じるが、とんでもない。まちづくりにどっぷり浸かり活躍できる最高な舞台である。この点で、ものすごく魅力を感じた。ただ、異動が・・・。上に有無を言わさせない実力を持ってから勝負にでることをTさんには勧められた。頑張ります。

これは論文とはかなりかけ離れた問題であるが、佐渡の滞在ではこういった人生設計の選択肢の幅が広がったことは確かである。

そんな行政編でした。

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