今回はこの白川公園をもとに、景観まちづくりについて、都市景観を優れたものにするためには何が必要なのかを考えてみる。
前回紹介した室町屋さんのブログの歩道橋のエントリーの下に、一冊の本が紹介してある。景観まちづくりを勉強する人ならだれもが知っている、今は亡き芦原義信先生の『街並みの美学』である。実は、偶然にもこの日、久々にこの本を外に持ち出し、白川公園を後にし、歩道橋カフェがないのでス○バで妥協し勉強しなおしていた。その本の冒頭、日本の都市景観がヨーロッパの都市景観に比べると素敵じゃないのは、美しい都市景観を形成するために必要な外的秩序なるものが、日本人には根づいていないため、のようなことが書かれていた。「きれいかきれいじゃないかなんて人それぞれの価値観が決める」なんて言う人もいるかもしれないし、確かにその通りだけれど、街並みに関して言えば、それは屁理屈。外的秩序は不可欠である。
そこで、ふと考えてみた。「なんで白川公園の景観は素敵なんだろう?」
通常、都市・街路に美しい景観を創造するためには、一人ではどうすることもできない。それは、美しい景観のためには、両隣の家と、またその隣、そしてその隣・・・・と、共通性がなければならないからである。なので、外的秩序なるものが、その地域・界隈の人々との共通性をつくるのに役立つのである。なんて考えていると、この質問だと意味がわからない。
そこで、質問を変えてみた。「白川公園の景観形成には外的秩序が存在するのか?」
答えは当然、NOである。白川公園という広大な敷地の中での景観が素晴らしいのは、誰かの家の一つの部屋の雰囲気が素晴らしいみたいなものなのだ。「名古屋市」邸の1個室のようなもの。自分の部屋がきれいだったりおしゃれだったりするのは、ちょっとの工夫とお金と根気でだれにでもできる。決して、部外者と協働して自分の部屋をつくるわけではない。
そこで、さらに考えた。「じゃー名古屋市の土地をすべて名古屋市のものにすれば、景観は美しくなるはずなのか?」・・・・・・YESかもしれない。名古屋市さんが自分の家のすべてを莫大な資産でデコレーションする。けど、これじゃーつまらなすぎる。では何が必要か。答えは協働である。協働というプロセスを経ることにより、先述した共通性の共通認識を確認できる。
協働の形もたくさんある。中でも私がお勧めするのは、ゲーム感覚の楽しいワークショップ。具体的にどういうかんじのものかは、今すぐには思い浮かばないけれど。けど、このワークショップで行きついた提案が、実際に街並みに反映されれば、そのワークショップに参加した人たちは、彼らの共通性の共通認識が現実に反映されていると感じるはずだ。面白くないわけがない。さらに、この共通性の共通認識こそ、外的秩序なのだろう。
なので、結論。白川公園は全然関係なくなってしまったが、ワークショップ型の協働を実践し、市民がまちづくりをリードしていくことが、外的秩序をつくり、美しい景観まちづくりを可能にしていくはずである。
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