2010年1月23日土曜日

international nagoya? 名古屋の国際性について思う。

2007年、大学を卒業し、久々に名古屋に住み始めた私は、町を歩いていて、ふと2007年の名古屋が2003年までの名古屋と比べると大きく異なっていることに気付いた。それは、町から聞こえるポルトガル語の多さである。名古屋をはじめ、東海4県の工業地帯にはかなり多くのブラジル人コミュニティーが存在する。彼らの進出がいつから始まったのか、詳しくは知らないけれど、2003年までの名古屋のイメージには、超・日本人的都市というものがあった。すでに多くの外国人労働者はいただろうが、彼らを間近に感じることはかなり少なかった。町を歩いても外国語なんて聞こえない。インターナショナルな活躍を夢見ていた当時の私がそう感じていたのだ。この感覚は間違いないと思う。

それが、2007年、栄を歩くといたるところから外国語が聞こえるようになる。友達の少ない私は、一人で町を徘徊すること多い。当然、誰かと話しているわけではないのだから、回りの情報をより多く入手できる。で、気付いたのが、どう考えても名古屋がインターナショナルシティーとなっている、ということであった。当時、名古屋駅の上にあるマリオ○トホテルのコンシェルジュラウンジでバイトをしていた私は、多い日は8割が外国人ゲストなんて日もあり、そこで名古屋の国際性を確認もしたが、それ以上に、栄や大須から聞こえてくる外国語に名古屋の進化を感じた。

それが、2009年、超インターナショナルシティー・ストックホルムから帰国し、栄の町を歩き始めて、また違いを見つける。それは、名古屋がまた日本人的都市に戻ってしまったということ。あれだけ多く聞こえてきたポルトガル語をほとんど聞かなくなった。これは大きなショックである。実際、外国人労働者の派遣切りが問題となり、一時帰国援助金なるものを行政が出し、多くの外国人労働者が国に帰ってしまった、というニュースはしっかりチェックしていた。しかし、圧倒的な少なさである。

昨春、一時帰国の際、幼馴染の友人と歓楽街を社会見学していた際、「女子大通り」と呼ばれるエリアが外国人ホステスのメッカとなっていることに驚いた。お姉ちゃんも外国人、キャッチのお兄ちゃんも外国人。ブラジル・コロンビア・フィリピン・マレーシア・・・、とにかく多国籍であった。そういう事情に多少精通しているその友人いわく、派遣切りとかが行われた後、この界隈の外国人率がかなり高くなったらしい。そういう仕事しか残らなかったのかな。けれど、経済的に厳しいのは日本人も一緒。お客の数は減る。そしたらビジネスとして成り立たなくなる。だから、やっぱ帰っちゃうんだろうな。

こういう多様性が乏しくなってきている名古屋は、多様性に富んだ暮らしを楽しみすぎたryotを大きく悲しませた。絶対に多様性はあったほうがいい。そっちのほうが絶対におもしろい。また、多様性というものが都市の経済発展には不可欠な要素である、ということをRichard Floridaというアメリカ人の偉い学者が世界的ベストセラー本『the rise of the creative class』で言っている。就職活動中の私にとって、もちろん経済成長をしてくれたほうがありがたいが、それ以上に、多様性のある町のほうが、歩いていて楽しい。そういった理由で、私は日本人都市名古屋に多様性を求める。

そんな日本人コミュニティー名古屋にあって、異彩を放つショップが大須の角にある。その名もOSSO Brasil。日本人が働く外国料理屋はそこらじゅうにあるし、現地の人が日本人に食べさえる料理屋もそこらじゅうにある。事実、我が家がよくお世話になるお向かいの中華屋も中国人の経営だし、こないだ父と行ったネパールカレー屋もネパール人の経営だった。けれど、現地の人が現地の人に食べさせる料理をつくる外国料理屋はここくらいしか知らない。名古屋のインターナショナル感を楽しめる数少ない料理屋です。実は、大須に向かう度に行こうと思うものの、一人で入る気になれず、未だ試せれていない。来週こそ、行こう!

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