2010年1月31日日曜日

車道から栄にかけての道路に自転車道路の提案、その2。cycling pathway2

前回、せっかく提案的なことをしてみたのに、その動機やら何やらを書いていなかったことに気付く。ペイントを使ったことに興奮&満足をしすぎていた。そこで、なぜ自転車道路化計画なのか、どうやるのか、この計画が与えるインパクトのSWOT的な分析などなどを考えてみることにする。

まず、最初に、なぜ自転車道である必要があるのか。最初に答えを言うと、これは環境・需要・個性の面からそうあるべきだと感じたためである。最初、私はここをトランジットモールにして、自転車と公共交通機関(できればトラム)とあとは歩行者が行き来できる環境にすることを考えた。けれど、先述したとおり、お隣には桜通。その下には桜通線という地下鉄が走っている。広小路通の下にも東山線が走っている。なので、トラムを走らせる意味がないことに気付いた。ぜひいつかほしいけれど。

で、公共交通機関を入れずに、何か個性を創出できる企画として何が思いついたかというと、私が渇望する自転車道である。名古屋は道の広さ(と運転の荒さ)で日本では有名であり、当然歩道も広い。歩道部分には自転車優先道路も設けられている。が、ここはしばしば駐輪場となっていたり、まったく無視した歩行者がのんびり歩いていたりしている。さらに、むだにクネクネtraffic calming的なことを自転車道に適応していて、自転車をこがせにくくしていたりする。完全に規制すべき対象がおかしい。これは桜通の歩道にも言えることである。しかし、これは世界的な流れに完全に逆流している。自転車は超環境にやさしい交通手段である。エコカーなんて比じゃない。COP10のホストをはじめ、環境先進都市を目指す名古屋にとって、自転車専用通勤道路を整備することは絶対にプラスなのである。また、町を歩いていても、けっこう本気自転車で疾走する人たちを見かけることは多い。この点で自転車道路の需要は確実に高いと考えられる。さらに、道路に意思・目的・個性を持たせることがきっとこの界隈をより優れた空間にしていくと思う。このように、環境・需要・アイデンティティなどの面から、私は自転車道路を提案した。

第二に、これをどう実行するのかを考えてみる。一番の問題は、ルール作りである。自転車優先道路があるにもかかわらず、それ以外の用途に用いられるのが一般的な我が国において、まずすべきことは、「この道路が自転車専用道である」というPRをすることである。啓蒙である。手っ取り早いのが、ブランディングである。まず名前をつける。車道から久屋大通につながる自転車道だから、仮に「車久ライド(シャークライド)」とする。コンセプトは「ゼロエミッション道路」。地図にも載せる。市の広報で車久ライドについて宣伝する。もちろん車のように、西に向かう自転車と東に向かう自転車が走るレーンは別のを用意する。最初のうちは指導員が立ち、規則を指導する。先回は道の端に並木と書いたが、中央分離帯的な並木にするのもありだと思う。我々はバカではない。知らなくても教えられればわかる。さらに、逆走する行為が危険だったりこぎにくかったりすれば、いくらなんでも気付く。こうすることで、車久ライドはチャリダー通勤者に知られるようになり、徐々に一般にも普及していく。

最後に、この計画の考えられるインパクトについてSWOTで考える。

Strength(強み)は

  • 環境にやさしい。
  • この界隈の知名度アップ。
  • 歩行者・自転車が分離することにより、安全で事故が減る。
  • こういうアメニティーを歩行者が好むことにより、人の流れが増え、それを目的にした経済が成長する。
  • いいアメニティーの空間を会社は立地を選ぶ傾向にあることが証明されているから、経済活動はますます盛んになる。

などが考えられる。

逆にWeakness(弱み)は

  • 住民で車に依存している人たちは困るかも。
  • ・・・。コストくらいかしら。これ以外は、自転車道路がほしすぎる私には考えられない。

続いて外部要因のOpportunity(好機)として

  • この道路の存在が日本中のチャリダーに知られることにより、車久ライド界隈に多くの1次的・2次的な自転車系資本が流れ込むはず。

逆にWeakness(脅威)は

  • 今までここを使っていたドライバーが他の道路を使うようになるため、隣接する道路での渋滞がより深刻になる。この点で環境に対してはマイナスかもしれない。

などが今だけでも思いつく。

弱みに書いた、ドライバー住民への悪影響は、おそらくあまり深刻にはならないと思う。そのために一方通行の道路を残すのだから。また、脅威になりうる他での渋滞の発生については、公共交通機関や車久ライドを使うことにより、よりスムーズに通勤・移動できることがわかれば、自然にそっちに移ると思う。もしだめならば、インセンティブをつくる。公共交通機関の割引とか、定額料金制にするとか。そもそも、車のニーズにあわせた道路づくりをする必要性がおかしいのだ。きりがない。そして人口減少時代が到来している。それだけ作ったのを、将来だれが利用するの?だれが維持するの?維持費はだれが払うの?そういうことを考えたら、車専用道路はこれからは減らしていった方がいいに決まっている。と私は考えている。

今後、まちづくりでキーになってくるのは「人口減少」「高齢化」「環境問題」の3点だと私は考えている。確かに高齢者が自転車をぶっ飛ばすことは少ないかもしれないけれど、それは車にも言えること。自転車と車では道路に与えるダメージがかなり異なると思うし、この点で自転車道路のほうが人がいなくなったときの維持が楽になるように感じる。また、使える資源が限られていて、それでも経済的な成長を目指したいのであれば、資源を使わないでも成長できる戦略を考えるべきである。この点、自転車道路がもたらしうる経済効果や環境への好影響は、多くの面でwin-winな解決策になりうる。つまり、スマートグロース戦略なのだ。

2010年1月29日金曜日

車道から栄にかけての道路に自転車道路の提案。cycling pathway

今日は新しい試みを導入してみる。というのは、今まで通りの文と写真だけではなく、もうちょっと工夫してみようということである。

さて、空襲で燃えなかった界隈の都市計画が近年急ピッチで進んでいる。その界隈は名古屋の車道(くるまみち)とか千種から西へちょっと入ったところにある。つい数年前までは道が道路なのかただの空き地なのか、そんなレベルで都市計画が進んでいなかった場所だ。そこにある一本の道について、今回はちょっと考えてみる。

今回の道はここ↓

tadaaan!! (今回の新たな取組みとは、ペイント機能の使用だったりする。)

この道、最近やっと都市計画が進み始めている。しかし、どう考えても意味がわからない場所が多々ある。ほとんど開通している道路の最後にまだ民家があるからそこでいきなり道がなくなってたり(写真1)、歩道と車道の間に空き地スペースがあったり(写真2)。写真2の奥に見える高層マンションin代官町については次にちょっと考察してみるからおいておく。

この無秩序な感じの都市景観が、このまま栄方面に向かいどんどん西へ走るにつれて、とても素敵になっていく。建築の色や高さ、古さ、形、とてもモダン日本的なリズムを感じられる。また、あのスケール感がたまらなくかっこいい。片側がゆったりめの1車線程度の合計2車線の幅なのに、建築の高さとかが心地よくて、走っていてけっこうわくわくする。ちょっとした起伏もあったりして、楽しい。途中には名古屋高速が横切り(写真3)、最後にいびつな形のドコモビル(写真4)を過ぎるとセントラルパークにたどりつく。


この道路は、発生(帰結)地点がまだ曖昧なため、まだあまり道路として車を走らせる準備は整っていない。それゆえ、私は好んで自転車をこぐ。そこで、この道に提案をしてみる。

実際この道、名古屋が代表する主要3道路の桜通・錦通・広小路通のすぐ北側を走る小道にすぎない。車の交通量はあまり多くないし、代替道路が多くありすぎるため、この道路の存在意義はそこまで大きくないように感じるのが、私の印象である。写真は木曜夕方5時くらいに撮影したものだが、交通量が少ないのは明白だ。

そこで、私が考えたのは、この道を一方通行1車線に変更して、残った部分を並木&自転車道路に変更するということである。こんな感じ。

tadaaaaaaaan!! レベルは低いけれど自作図に満足(笑)

片側の車道の歩道寄りに並木道をつくり、車道側の道路に色をぬり、自転車道路として活かす。こうするのは、我が国の歩道上にある「自転車道路もどき」には歩行者がいたり、困った人々が自転車置き場に転用したりすることからもわかるけれど、きっとそうしないとせっかくの自転車道路が歩行者道路になったり自転車置き場にされてしまうからである。そもそも、自転車は車両なんだから、道路を走るのがエチケットだしね。並木はあんまり茂らないようなクールなやつが好ましい。せっかくの素敵な都市景観を楽しめなくなっちゃうし、生い茂ると暗くなるからね。縦にまっすぐ細く伸びるやつなんかいいと思う。

おそらく、この道の始発点で頑張って行政と戦っている人が諦めたとき、この道は桜通の混雑を嫌うドライバーにより占拠されていくのだと思う。けど、そうではなくて、これからの時代、交通量の需要にあわせるための道路づくりではなく、交通量を減らすための道路づくりをしていかなくてはならない。せっかく面白い景観があって、大通りがすぐ南に3本もある道なのだから、ただ普通の道路にするのではなく、ちょっと工夫を加えてこの道にアイデンティティを創造していくほうが、楽しい。

2010年1月23日土曜日

international nagoya? 名古屋の国際性について思う。

2007年、大学を卒業し、久々に名古屋に住み始めた私は、町を歩いていて、ふと2007年の名古屋が2003年までの名古屋と比べると大きく異なっていることに気付いた。それは、町から聞こえるポルトガル語の多さである。名古屋をはじめ、東海4県の工業地帯にはかなり多くのブラジル人コミュニティーが存在する。彼らの進出がいつから始まったのか、詳しくは知らないけれど、2003年までの名古屋のイメージには、超・日本人的都市というものがあった。すでに多くの外国人労働者はいただろうが、彼らを間近に感じることはかなり少なかった。町を歩いても外国語なんて聞こえない。インターナショナルな活躍を夢見ていた当時の私がそう感じていたのだ。この感覚は間違いないと思う。

それが、2007年、栄を歩くといたるところから外国語が聞こえるようになる。友達の少ない私は、一人で町を徘徊すること多い。当然、誰かと話しているわけではないのだから、回りの情報をより多く入手できる。で、気付いたのが、どう考えても名古屋がインターナショナルシティーとなっている、ということであった。当時、名古屋駅の上にあるマリオ○トホテルのコンシェルジュラウンジでバイトをしていた私は、多い日は8割が外国人ゲストなんて日もあり、そこで名古屋の国際性を確認もしたが、それ以上に、栄や大須から聞こえてくる外国語に名古屋の進化を感じた。

それが、2009年、超インターナショナルシティー・ストックホルムから帰国し、栄の町を歩き始めて、また違いを見つける。それは、名古屋がまた日本人的都市に戻ってしまったということ。あれだけ多く聞こえてきたポルトガル語をほとんど聞かなくなった。これは大きなショックである。実際、外国人労働者の派遣切りが問題となり、一時帰国援助金なるものを行政が出し、多くの外国人労働者が国に帰ってしまった、というニュースはしっかりチェックしていた。しかし、圧倒的な少なさである。

昨春、一時帰国の際、幼馴染の友人と歓楽街を社会見学していた際、「女子大通り」と呼ばれるエリアが外国人ホステスのメッカとなっていることに驚いた。お姉ちゃんも外国人、キャッチのお兄ちゃんも外国人。ブラジル・コロンビア・フィリピン・マレーシア・・・、とにかく多国籍であった。そういう事情に多少精通しているその友人いわく、派遣切りとかが行われた後、この界隈の外国人率がかなり高くなったらしい。そういう仕事しか残らなかったのかな。けれど、経済的に厳しいのは日本人も一緒。お客の数は減る。そしたらビジネスとして成り立たなくなる。だから、やっぱ帰っちゃうんだろうな。

こういう多様性が乏しくなってきている名古屋は、多様性に富んだ暮らしを楽しみすぎたryotを大きく悲しませた。絶対に多様性はあったほうがいい。そっちのほうが絶対におもしろい。また、多様性というものが都市の経済発展には不可欠な要素である、ということをRichard Floridaというアメリカ人の偉い学者が世界的ベストセラー本『the rise of the creative class』で言っている。就職活動中の私にとって、もちろん経済成長をしてくれたほうがありがたいが、それ以上に、多様性のある町のほうが、歩いていて楽しい。そういった理由で、私は日本人都市名古屋に多様性を求める。

そんな日本人コミュニティー名古屋にあって、異彩を放つショップが大須の角にある。その名もOSSO Brasil。日本人が働く外国料理屋はそこらじゅうにあるし、現地の人が日本人に食べさえる料理屋もそこらじゅうにある。事実、我が家がよくお世話になるお向かいの中華屋も中国人の経営だし、こないだ父と行ったネパールカレー屋もネパール人の経営だった。けれど、現地の人が現地の人に食べさせる料理をつくる外国料理屋はここくらいしか知らない。名古屋のインターナショナル感を楽しめる数少ない料理屋です。実は、大須に向かう度に行こうと思うものの、一人で入る気になれず、未だ試せれていない。来週こそ、行こう!

2010年1月22日金曜日

shirakawa park, nagoya, 白川公園から景観まちづくりを考える

白川公園は名古屋が誇る文化的な公園である。素晴らしい名古屋市美術館があり、科学館があり、ちょっと歩けばしらかわホールがあり、もうちょっと歩けば電気の科学館なんてのもある。前回のエントリーの対象地・若宮橋からすぐにあったため、久々に立ち寄ってみてその素敵さに気付いた。遅い。常設展しかやってなかった美術館はガラガラで、のんびりゆっくりアートを堪能できた。美術館の外に出てみても、建物の雰囲気とか樹木とか、すごく素敵な空間である。

今回はこの白川公園をもとに、景観まちづくりについて、都市景観を優れたものにするためには何が必要なのかを考えてみる。

前回紹介した室町屋さんのブログの歩道橋のエントリーの下に、一冊の本が紹介してある。景観まちづくりを勉強する人ならだれもが知っている、今は亡き芦原義信先生の『街並みの美学』である。実は、偶然にもこの日、久々にこの本を外に持ち出し、白川公園を後にし、歩道橋カフェがないのでス○バで妥協し勉強しなおしていた。その本の冒頭、日本の都市景観がヨーロッパの都市景観に比べると素敵じゃないのは、美しい都市景観を形成するために必要な外的秩序なるものが、日本人には根づいていないため、のようなことが書かれていた。「きれいかきれいじゃないかなんて人それぞれの価値観が決める」なんて言う人もいるかもしれないし、確かにその通りだけれど、街並みに関して言えば、それは屁理屈。外的秩序は不可欠である。

そこで、ふと考えてみた。「なんで白川公園の景観は素敵なんだろう?」

通常、都市・街路に美しい景観を創造するためには、一人ではどうすることもできない。それは、美しい景観のためには、両隣の家と、またその隣、そしてその隣・・・・と、共通性がなければならないからである。なので、外的秩序なるものが、その地域・界隈の人々との共通性をつくるのに役立つのである。なんて考えていると、この質問だと意味がわからない。

そこで、質問を変えてみた。「白川公園の景観形成には外的秩序が存在するのか?」

答えは当然、NOである。白川公園という広大な敷地の中での景観が素晴らしいのは、誰かの家の一つの部屋の雰囲気が素晴らしいみたいなものなのだ。「名古屋市」邸の1個室のようなもの。自分の部屋がきれいだったりおしゃれだったりするのは、ちょっとの工夫とお金と根気でだれにでもできる。決して、部外者と協働して自分の部屋をつくるわけではない。

そこで、さらに考えた。「じゃー名古屋市の土地をすべて名古屋市のものにすれば、景観は美しくなるはずなのか?」・・・・・・YESかもしれない。名古屋市さんが自分の家のすべてを莫大な資産でデコレーションする。けど、これじゃーつまらなすぎる。では何が必要か。答えは協働である。協働というプロセスを経ることにより、先述した共通性の共通認識を確認できる。

協働の形もたくさんある。中でも私がお勧めするのは、ゲーム感覚の楽しいワークショップ。具体的にどういうかんじのものかは、今すぐには思い浮かばないけれど。けど、このワークショップで行きついた提案が、実際に街並みに反映されれば、そのワークショップに参加した人たちは、彼らの共通性の共通認識が現実に反映されていると感じるはずだ。面白くないわけがない。さらに、この共通性の共通認識こそ、外的秩序なのだろう。

なので、結論。白川公園は全然関係なくなってしまったが、ワークショップ型の協働を実践し、市民がまちづくりをリードしていくことが、外的秩序をつくり、美しい景観まちづくりを可能にしていくはずである。

wakamiya bridge, nagoya, 若宮橋をもとに歩道橋への新提案

訓練のためにしばらくは日本語で全部書くことにする。また英語を書くことを忘れないようにするためにそのうち順番とかで書き始めると思うけれど、落ち着くまでは。

で、今日は歩道橋について考察してみる。特に、名古屋の中心、栄と大須の間にある「若宮橋」を中心に考察したい。

ご存知の通り、歩道橋とは「車道を跨ぐように架けられた歩行者・自転車専用の橋」(ウィキ)である。かつては交通弱者の安全を確保するために信号ではなく歩道橋が架けられていた。が、交通マネジメントを信号ができるようになったため、近年はその意義がうすれ、歩道橋の老朽化も相まって取り壊されていることも多いらしい。

この歩道橋、実家の目の前にもある。さらに、四角型。ただ一つの道路をまたぐだけでなく、十字路をすべてまたぐ、歩道橋の中ではきっとスター的存在である。これがまた邪魔なのだ。利用者は、ごくわずか。なぜなら、その下のすべての道路には横断歩道と信号機が整備されているから。うちの母は「邪魔だ。撤去してほしい。」と言っている。確かに橋脚や歩道橋は視界を遮り、多くの原因ともなっているし、あれのせいで我が商店の看板が目立たなかったりもする。

が、せっかく億の血税を使って建てたのに、もったいない。同じことはどの歩道橋にもあてはまる。そこで、私は今まではここを『空中ガーデン』にすべきだ!と思っていた。こないだ見つけた「PR会社・室町屋」さんのブログの2009年12月8日のエントリーにも似たようなことが書かれていた。(http://ameblo.jp/muromachiya/ この室町屋さん、とても面白いことを書いている。)

しかし、今日、若宮橋を歩いていてふと気付いたのが、空中ガーデンとするだけではもったいない!ということ。実は歩道橋はとても変化に富む景観を供給する展望台となりうるということに気付いたからだ。車が走る。横切る。止まる。人が歩く。集まる。ライトの流れ、音。実はすごく迫力がある。見ていて、飽きない。当り前である。まだ見ていないが、アヴァターという映画の3Dがすごいらしいが、ここの3Dは全画面全空間の3Dなのだ。大迫力で当り前である。

そこで、何かできないだろうか、と考えた。すると、こないだExileが司会をする深夜番組を偶然見ていた時、所ジョージがゲストで出てきて、

「私はね、椅子とポットを歩道橋に持って行って飲むのが楽しいのだよ。国が億の金を使ってだれも使わない歩道橋を私一人が使えば、国が私のために億の金を使ったということだからね。はっはっは」

のようなことを言っていたのを思い出した。

面白い。

ので、私が都市の中心部にある歩道橋で提案したいのが、歩道橋カフェ、空中カフェである。スカイカフェ、スカフェなんてね。

実際、若宮橋の真下にはちゃんと横断歩道が渡ってある。なので、だれもそこを通らなくても困らない。さらに、都心部で需要が多いと行政が思い込んだからなのか、普通の歩道橋よりも若干道幅が広い橋である。さらに、ショッピングスポット栄と大須の間にあることから、その界隈を歩く人の量は多い。つまり、物質的にも机といすを並べる空間があり、人的には(おそらく)ある程度の需要も見込めるのである。さらに、普通のカフェに飽きた人、見晴らしのいいカフェが好きな人、屋外テラスカフェが好きな人、さらには、目新しいものが好きな人、ただ話のタネを求める人など、いろんな人が来うる。事実、ググってみても、この企画はまだ誰も実行してなさそうだし。日本初、ryot発である。

実際、結構おもしろい企画だとは思う。もちろん問題はたくさんあるだろうけれど。

下から見ているとほぼ無用の長物である歩道橋。常に変化し続ける超3Dカフェ。春から秋限定オープン。開催できたらぜひwelcome!!! 

2010年1月21日木曜日

ise shrine and okage-yokocho, 伊勢神宮とおかげ横丁

it has been already nearly a month since i escaped from nagoya for the last christmas day to ise shrine. ise is, i think, one of a few most important shinto shrines in japan. it was my first visit there. i was motivated to head there in order to avoid japanesey commercialized christmas atmosphere. it is extremely harsh for a young person (myself) to be totally alone on christmas eve in japan somehow, as it has become a day for lovers... damn. so, i thought there would be nobody at ise SHINTO shrine as there SHOULDNT be any christmasy atmosphere. but my imagination turned out to be totally wrong. sooooooo many couples.... the restaurant i had a lunch even played crazy hilarious christmas music!! thats not what i wanted to see in ise at all.   

although my motivation was to avoid such christmas, my biggest purpose to visit ise was to learn how okage-yokocho was like. one person i interviewed in sado told me that this okage-yokocho was promoted by akafuku, and it is one of good examples of place branding kind of thing. as a planner-wanna-be who live relatively near to ise, it is definitely a shame if i dont know any of it when i become a real planner.

my impression was that it was just fun. nothing more, nothing less. it attracted many people both young and old, male and female. there was something happening, and many activities going on. but somehow i felt as if i were at japanese disney land kind of place all of a sudden. everything looked nice; buildings, shops, whatsoever. i could not feel real life there. 


on the contrary, along with okage-yokocho, there is a street called oharai street, and it created more real atmosphere. i believe that this oharai street was nothing promoted or branded but just developed together with ise shrine. from this aspect, nothing artificial, but super organic. 


thats how i felt in ise. so of course it could be totally different for somebody. but i somehow noticed the need of "reality" in creation, promotion and branding. at least i valued more on oharai street because i thought it was more real and therefore valuable. 

i do not mean to argue that it is meaningless to create something new to attempt to create some new value. what i try to do is like this one actually. but such activities could be strange if there is no reality or realness. 

the loser trip escaping from christmas became surely a great educational trip.

2010年1月20日水曜日

taipei101, 台北101

今回の旅のハイライトは、何といっても台北の超高層ビル『台北101』のニューイヤー花火だった。

この建物は、先日ドバイにできた世界一高い建物『ブルジュドバイ』ができるまで、世界一高いビルだった。ちなみに、私たちが台北に滞在していた時はブルジュドバイはまだ完成しておらず、一応、世界一高い完成済みのビルではあった。

ここの花火がすごいというのは事前情報で聞いていたし、それなりに楽しみにしていた。だが、それ以上におもしろいことがおきていた。というのは、台北中の人々が集まってくるかのような人の大洪水が発生し、それに対応するために当然近隣はすべて通行止めになる。台北人の足・スクーターも当然通行止めが始まれば区域内には入れてもらえない。もちろんみんなスクーターでやってくるので駐車スペースもどんどんなくなっていく。なので、走れる道&駐車できるスペースを探して、スクーターが行ったり来たりしているのが面白かった。

台北101に比較的近い夜市を歩いた後に花火が見れそうな場所へ向かおうとしたのだけれど、当然道なんか知らなくても大丈夫。人の流れについていく。あっさり目的地が目視でき、障害物の少なめな場所を確保する。もっと近づけば、回り一面を埋め尽くす台湾人。みんな友達同士地べたに座ってピザ食べたりお酒飲んだり楽しく待っていた。


そして最後に花火。大迫力!!

この花火を見終わって、日本だったらきっとこういう大パーティーは警察が許可しないんだろうなーなんて思う。まず、首都のど真ん中を、恐らく、少なくとも2時間くらい全面通行止めにすることがなさそう。年越しの渋谷の交差点も何もされないからね。そして、この花火もまず許可がおりないように思う。感覚的には、六本木ヒルズからの大花火パーティーて感じなのかな?さらに、上でなく、横方向に。無理そう・・・。

こないだ、ノーパンツサブウェイライド(ズボンを脱いで下半身パンツで地下鉄に乗るっていう世界的に広がりを見せてるフラッシュモブ)を警察が断固阻止しようとするという記事を読んだけれど、それを読んで感じたことは、なんてつまらない国なんだ・・・!ということ。花火にしてもパンツにしても、都市にもっとアソビを持ち込まないと、どんどん面白みのない国になっていってしまう。別にパンツや花火でなくてもいいのだけれど、行政や国家権力を巻き込んで面白いことを実現させたい。そういう提案を可能にするプランナーに一日も早くなるために、努力ですな。明日からも職探しがんばります!!

2010年1月13日水曜日

taipei market, 台北 夜市

もっとはやく書き込む予定だったのに、まさかのメモリの故障により、初めてパソコンを修理に出すはめに。自分のパソコンの使いやすさを実感した。そして就職活動・・・イヤニナルゼ。

さてさて今回は台北の夜の楽しみ方・夜市について。

夜市は台北のいろんなところに点在している。その中で私は4夜市を訪問した。どこに行っても共通して言えることが、圧倒的なエネルギーである。賑やか。なんとなくパワーをもらえる感じがする。客引きの掛け声、食べ物の匂い、電飾、人ごみ、その全てが全然違う。父親曰く、昔のお祭りの屋台はあんな感じだったらしい。やっぱ日本がまだまだ貧しい60年代なんかは町中にパワーが満ち溢れていたんだろうなー。うらやましい。現代の日本でも人ごみが発生する場所はいくつかあるけれど、あのパワーを感じることはない。週末の名古屋の大須はもちろん、東京の原宿とか歩いていてもパワーのおすそ分けはもらえないからね。

売っているものの中には見かけないものもちらほら。写真はトリの足。食べてみたら意外とおいしい『臭豆腐』の匂いはいろんなところから漂ってきて、居たたまれなくなる。納豆の匂いを嗅ぐ外国人はきっとあんな感じなんだろう。。。

おもしろかったのが、決まりがあるのかないのかは定かではないけれど、ほとんどの人が右側通行を守っていること。道路の両側に建物の中にあるお店(とたまにさらにその前にある出店)があり、まんなかを屋台が区切って、道路を2分していることが多かった。だからなのか、台湾の車の流れと同じで、人々は右側通行で歩いて進む。そういうルールがないほうが歩きにくいのは間違いないが、みんなしてそれを守っていて、我々もとりあえずそうした。

我が家はブランド物には興味のない人たち&(たぶん)本物じゃないと絶対に嫌な人という組み合わせなので、たまに見かけた高級ブランドの屋台にはまるで立ち寄らず。私が夜市で入手したのは、ムクミ取り用の道具と、あとは食べ物だけでした。

2010年1月4日月曜日

taipei transportation, 台北‐交通編

年末年始、25年間の人生で初めての家族旅行で、台北を訪問した。この都市はとてもアジア的でエネルギーとギャップに富んでいて、歩いていてとてもワクワクした。そこで何回かに分けて台北に関して感じたことを紹介したい。最初は交通に関して。

台北市内は公共交通機関が発達している。バスと地下鉄がとても廉価に利用でき、黄色に統一されたタクシーも充実している。特に気に入ったのが地下鉄である。定期券がない我々観光客は、まず券売機でコインを買う。距離に応じた値段設定がされており、20台湾ドルから5ドル単位でいくらかまである。(ちなみに1台湾ドルが3円くらい。)このコインは磁気を帯びていて、改札機に反応させて中に入る。


プラットホームはとても現代的でかっこいい。上の通路から下が見下ろせる造りになっているところが多かった。地下鉄はとても清潔で快適で、それを維持するためにいろんな禁止事項があるようだった。


そして、目的地に到着したらコインを改札に入れて外に出る。


路線は数本しかないけれど、主要な界隈はしっかりとカバーされており、ずいぶん楽だった。今までに活用した公共交通機関の中では最もクールな乗り場とシステムだったように感じる。それゆえ、乗る際にちょっとドキドキしたし、なんとなく(何に対してなのかは不明だが)優越感を覚えたりもした。

それ以外だとタクシーを多用した。ホテルの場所が最寄り地下鉄駅や観光名所から離れているため、家族4人で移動するには4人で入れるタクシーが都合がいいため、そして圧倒的に安いため、つい甘えてしまった。初乗り70台湾ドル。4人で乗れば信じられないくらい安く済む。タクシーでは日本の昔の演歌のカラオケが流れていることが多かった。

バスは乗り損ねた。空港・ホテル間の送迎をしてくれたガイドさん曰く、初乗り5台湾ドルで、激安だが、行先を現地の言葉で話せないとしょっちゅう間違うらしい。

私用の交通では、圧倒的なスクーターの量に驚いた。そこらじゅうで走っていて、そこらじゅうに駐車してある。一応2人乗りまではOKらしいが、余裕の3人・4人乗りもちらほらと見かけた。ちなみに、バイクの事故はとても多いらしい。ウインカーも出さずにあいているスペースを縫うように走るバイク集団を見れば、それはごく当たり前の帰結である。実際、1度、バイクが派手にこけたシーンを目撃した。彼は何事もなかったように起き上がりまたバイクにまたがっていなくなっていったが。

大きな通りでは自転車通りも整備されてはいたが、サイクリストの私だけれど、この都市で自転車をこぎたいとは思えなかった。まるで自殺行為のようで怖すぎる。。。

未だ無免許の私には関係ないが、免許ホルダーの両親はとても台北で運転はできないなーと言っていた。無謀な兄はバイクレンタルを画策していたが、国際免許証にしていなかったどころか、日本の免許証すら持ってきておらず、断念。あっても、無理でしょう。