2008年のクリスマスは一人で寮に引籠るつもりでいたところ、スイス人の友人に誘ってもらい、彼のチューリッヒ近郊の実家を訪ねることができた。日程はかなり無理をして、12月20日朝にストックホルムを発ち、イタリアのベルガモへ、その夜ミラノに移動、22日に電車で北上しチューリッヒに向かい、25日夜にスイスの首都ベルンへ移動し、26日の夜の飛行機でストックホルムに戻る、という強行軍であった。早速ベルガモから。
ベルガモはイタリア北部にある都市である。空港からメインステーションまで出た後、まさかのロッカーなしに困惑しつつもとりあえず旧市街へ向かう。旧市街は丘の上にあり、ケーブルカーで上に登る。
この町について覚えていることはかなり少なく、実際写真を見てもあまりピンとこない。とりあえず、その日の日記を抜粋。『ベルガモへ向かう機内からアルプスが見え、大興奮。ベルガモへ。小さいけれどとても素敵な町でした。丘の上に旧市街が広がっていて、起伏に富んだ町。ストックホルムでは信じられないような青空にも恵まれ、空の青さ、古い街並みと、イタリアに来れたことをとても幸運に感じた。』なんて書いてある。
と、その日は感動を覚えたようだが、1年後にはまるで印象が少ない。覚えているのは、ファーストフードのピザがとびきり美味しかったことと、丘の上から見た新市街が空気汚染のスモッグで霞んでいたこと。そこにはまるで触れていないのだから、きっと必死でベルガモの思い出を肯定し、美化したかったんだろう。さらに、記憶の薄れた今となっては『小さいけれどとても素敵な町』であったことは覚えていない。起伏に富んだ町だったのは覚えているけれど。ただ、毎日灰色の空を見ていた私にとって、あの痛快な青空が大きな癒しになったのはなんとなく思い出せる。きっと旧市街から空を見ていたらそうは感じなかったんだろうけれど。
写真を見直していて感じるのは、イタリア人の歴史へのプライド。特にそれを感じるのは、私のブログでは毎度おなじみになってきている石畳。外周線以外の旧市街の街並みで、素材を判別できる道という道はすべてコンクリではなく石だった。車やバイクだって町中に入ってくるのに、快適さを求めてコンクリにかえてしまうという発想はないみたい。このこだわり・プライドみたいなものは本当に尊敬できる。
都市計画は教科書通りの設計で、大聖堂とその前の広場(とその中の噴水)を中心として町が発達していて、一緒に行った都市計画の学友(笑)と「教科書通りだねー」なんて話してたことも思い出せる。
0 件のコメント:
コメントを投稿