2009年12月26日土曜日

lubeck, germany, リューベック

2009年のクリスマスは済んでしまったけれど、せっかくなので2007年クリスマスの続きを。

ハンブルグを訪問した後、最後はドイツ北部のちょうど真ん中らへんにあるリューベックを訪れる。ここはハンザ同盟でとても大切な役割を果たした古い町で、旧市街は世界遺産にも登録されている。町は7つ(だったっけ?)の教会のタワーがシンボルとなっているらしい。人口は21万人ほどらしく、この規模ならヨーロッパではちゃんとした都市となっている。ウィキ情報によると、旧市街への入口にある門はかつてドイツマルク紙幣の図柄として使用されていたらしく、きっとこの町はドイツ人のプライドを感じられる町なんだと思う。

町は旧市街らしいオーガニックな都市構造をしていた。周りを水で囲まれていて、その内側に道が自然発生しているようだった。もちろん都市計画はあるだろうけれど、碁盤の目のようなつまらない機能的な構造じゃなくて私は好きです。


ドイツ統一以前は西ドイツにあったものの、東ドイツへの国境がすぐ近くだったらしい。それゆえ、東ドイツへの敬意を表して、東ドイツの労働者デザイン信号も数個使われていた。


町を歩いていると、いたるところに金色のプレートが道路に埋め込まれているのに気付いた。友人に尋ねると、「かつてここに○○というユダヤ人が住んでいました」というサインらしい。ナチスの強制連行で連れ去られた犠牲者で、記録がある人たちを偲ぶために作られているらしい。もちろん、こういうプレートがない犠牲者なんかはもっとたくさんいるのだろうけれど。。。

幸運にも、私の一番仲良しのドイツ人の友人の地元がこの町で、クリスマスのために戻っていたため、上に紹介したちょっとしたトリビアは彼から教えてもらえた。この日は12月23日で、私たちは夜の便でリューベック空港からストックホルムに戻る日であった。なので、夕方頃に町歩きを済ませ、友人宅で彼と彼の彼女と妹と彼女の友達とクリスマスディナーをしてから空港に送ってもらうことになった。至れり尽くせりである。とても楽しい休暇を楽しませてもらった。

そして夜、空港へと送ってもらう。恐怖はここから始まった。上の写真でもわかるけれど、この日はドイツでさえ稀な濃霧が発生していた。真昼でさえかなり見えず、夜は一層激しくなった濃霧に暗さも加わり視界数メートルとかのレベルだった。道中、友人には「この調子だとかなり遅れがありそうだねー」なんて話をしていた。空港に着き、友人と別れて飛行機を待つ。どうも様子がおかしい。しばらくした後、欠航が決定した。振り替え便はアナウンスをドイツ語→スウェーデン語→英語の順でされたせいで理解が遅れ、一番早い翌朝ロンドン経由ストックホルム行を取り逃し、27日か28日にベルリンかブレーメンからという理不尽な日程がオファーされた。これが格安航空会社で飛ぶ際の『万が一』の怖さである。

結局、リューベックがドイツ北部にあり、陸路ストックホルムへ戻れることを知っていたため、切符はキャンセルし、鬼のように高い電車で翌朝ストックホルムへ向けて出発することにした。空港まで友人に迎えて来てもらい、「おれは欠航になるだろうってわかってたよ」だってw その夜はとりあえずコペンハーゲンまでの切符を確保し、彼のお母さんの職場に泊めさせてもらった。いろいろと助けてもらった彼には本当に感謝感激であった。持つべきものは友達(とクレジットカード)だなーなんて痛感させられたリューベック訪問であった。

kitaku, nagoya, 北区

yesterday on christmas day, i went to meet my grandma to celebrate her 83 years old birthday. around her place, there is a gigantic condo developed, and i went to see it.

its called "Urbania Shiga Park (アーバニア志賀公園) and developed by one of the biggest real-estate agency in japan named UR. on UR's homepage, it is introduced as "a good environment with rich greenery." yet i somehow cant really agree with it. ok,  i thought its bit newer than 8 years old, but come on, the design of the architecture looks as if it is from the 1960s of functionalist ideal (or maybe bit too exaggerated tho). the shape of buildings are all same or at least very similar, and they were so colorless. as these gigantic blocks were just placed one to another, there was no exciting rhythm. 


i do agree that to some extent it created some livable environment than ordinary obsolete condos which could be observed elsewhere in japan, after seeing hammerby sjostad in stockholm i dont really want to say that this development provides the best atmosphere.

then what could have been changed from here? easy way should be to use different colors and bring more benches. they would provide better atmosphere for pedestrians and residents to enjoy the area by walking, staying out, seeing and so on. although its way to late, but the location and the shape of individual buildings should be bit more differentiated. theres nothing more boring to see the same continuing boring shaped&colored boxes. by doing so, there should be more vibrant rhythm provided. it is unfortunate that such way would cost way more than just building the same boxes straight i guess, and surely less efficiently accommodate people. but i strongly believe that accommodation shouldnt be something ruled mainly by efficiency. hopefully this sort of trend of building something cost efficient will stop in the coming decade, or ill be the cornerstone to make it changed. 

2009年12月19日土曜日

hamburg, germany, ハンブルグ

ブレーメンを1日で歩き回ったのち、続いてハンブルグへと向かった。ハンブルグは人口約170万のベルリンに次ぐドイツ第2の都市である。ハンザ同盟の都市として栄えた港湾都市である。また、その川や湖に近い地形、水路で移動して自分の家に帰ったり運河沿いに向上の倉庫街が広がっていたりした。市内には地下鉄のネットワークが充実しており、大きな町だけれどとても簡単に移動ができる。よくわからなかったけれど、3人以上で移動するならグループ割引が適用され、随分安く町を見てまわれる。町は戦争の被害が大きく、かなり新しいようである。被災した教会がそのまま残され展望台として使われたりしていた。

詳しいことは知らないけれど、ハーフェンシティーというプロジェクトが現在進行中で、これは港湾部分に新たな住む・買う・働く・遊ぶなどの要素をミックスしたエリアを開発するものである。このように、一つのエリアに多くの役割を負わせるmixed-useと呼ばれる形態の開発が、今ヨーロッパの都心部で多く行われている。六本木とかもこれか。名古屋ではなかなか思い浮かばないけれど。私の短期滞在では実際にこの界隈を見ることができなかったけれど、クラスメイトがこのプロジェクトを絶賛していたのを覚えている。下の写真の界隈なのかもしれないけれど、あまり定かではない。


ドイツ第2の都市ということで、町中の活気はすごかった。人が多い。不思議なことに、なぜかヨーロッパの都市では人口5万人規模の町でさえ町中の活気を感じられることが多く、100万都市のハンブルグでこう感じるのは当然のことだった。北ドイツでは最大級のクリスマスマーケットが開かれていたり、寒空の下、大道芸人も賑わいを生むのに貢献していた。一度クリスマスマーケットの中に入ると、ドイツの巨人たちが幸せそうにビール飲んだり買い物したりしていて、常に壁に囲まれているような感覚だった。


もちろん、ハンブルグと言えばハンバーグ、ハンバーガーだろう、というわけで現地の友人にハンバーガー屋に連れて行ってもらった。ただ、ハンバーガーは別にハンブルグからできてるものではないらしいけれど。


ドイツらしく、アングラシーンもかなりの充実である。有名なグラフィティアーティストの壁画が点在していたり、レパバンは繁華街としてドイツ人の誰もが知っているようなエリアで、いろんな人たちの熱気で夜遊びを満喫できるエリアであった。


ただ、レパバンは歓楽街としても有名で、クラブやバーがあるエリアの真横で立ちんぼさんが道行くおじさんたちと商談をしていたり、女性禁制の門が外部からの視線をシャットアウトする飾り窓ストリートがあったりもした。当然好奇心旺盛な私はその飾り窓ストリートへ一人勇み進んでいったのだが、お姉さま方のあまりのアグレッシブな姿勢に意気消沈し、すごすごと逃げ帰った。自分がまだまだ子供であることを痛感させられる瞬間だった。当然、写真撮影は禁止であった。

2009年12月16日水曜日

bremen, germany, ブレーメン

2008年のクリスマス旅は前回で終わったので、次いで2007年クリスマスの旅について回顧したい。

2007年のクリスマスはドイツへ向かった。旅は20日にストックホルムを発ち、ブレーメン・ハンブルグ・リューベックの3都市を4日で回るというかなりハードスケジュール(あるいは無謀な)旅であった。ストックホルムからは格安航空会社のライアンエアーがドイツの各地に飛んでいて、この時は往路0円+税金など、復路0円+税金などで、1人1万円くらいで往復した気がする。この点、日本から海外に出ようと思うととても贅沢なドイツ内での長距離電車は高いことで有名だが、ブレーメン-ハンブルグも、ハンブルグ-リューベックも1時間くらいの距離で、1人10ユーロほどで、まずまず。

最初の町はブレーメン。この町は何と言ってもブレーメンの音楽隊で有名である。それゆえ、ちゃんとした立派な音楽隊の像の他にもそこらじゅうに点在していた。それ以外では世界遺産に指定されている市庁舎と像。人口は50万くらいでドイツでは10番目に大きい町である。町は新旧がいい調和で発展していて、川もすぐのところに流れていて、とてもいい雰囲気だった。空港からのアクセスもトラムで一本で、メインステーションも都心にあり、他都市とのコネクションは最高であった。


私たちがついた頃はクリスマス商戦まっただ中で、当然クリスマスマーケットがでていた。世界遺産の広場にそれがでているせいで全体像を把握することはできなかったけれど、逆に普段とは異なる姿を楽しめた。さらに、幸か不幸か寒波に襲われ、雪。たまに降るならいいけれど、短期観光先で降られるとどう過ごせばいいのかわからなくなってしまう。もちろん、結果は、無理してでも歩きまわるという選択肢を取ったのだけれど。私は買い物は大好きだが、ヨーロッパで3回も冬を過ごしたが、この『クリスマスマーケット』というものはどうも好きになれなかった。というのは、売っているものがどこに行っても同じだったから。いい意味で伝統的であり、悪く言えばありきたりというか。けれど、そこでクリスマスショッピングを楽しんでる人たちを見るのはとても幸せな気持ちにさせてくれた。

shibuya, tokyo, 渋谷

whenever i go to shibuya, i get always astonished by the number of people. nothing more nothing less, just by the quantity of people. especially this time was superb. as the christmas illuminations on omotesando-street is back after 11 years of break, there were thousands of millions of pedestrians flooding on the street, although the lightings were nothing special in my opinion. when i got off at the omotesando metro station, the flow of people was like an unstoppable tide, and on the street, nobody could resist to do anything else than walk and take pictures. 

after i managed to walk to shibuya, again there was a series of human-flood once in a few minutes. it was absolutely crazy. but its even crazier that nobody seemed to be excited to see this great tokyo-ness, although watching people walking at the shibuya main street has been my great pleasure since this spring. no matter how many times i see, it never bores me.

i reconfirmed that going to shibuya shopping area on weekends is more like going crawling in people.

2009年12月15日火曜日

bern, switzerland, ベルン

2008年クリスマスシリーズの最後は、スイスの首都ベルン。25日の夜にチューリヒから移動し、夜遊びを楽しんだ後、26日だけだけれどしっかり観光してきた。ホストをしてくれた友人&彼のお姉ちゃんに感謝である。

この日の朝は、スイス料理の第2の定番メニュー、ラクレットから始まった。かなり重い。私が食べたいと言ったのを叶えてくれた2人に大感謝。ちなみに、第1の定番チーズフォンデュは23日に友人と彼の友達10数名と鍋大会のような勢いで楽しめた。串さばきの悪さからあまり食べられず、アウェーの洗礼を受けたのを覚えている。フォンデュ鍋もラクレットプレートも多くの過程が持っているようで、大阪人のお好み焼き機のようなものだと思った。

ちなみに、ベルンは首都であるけれどスイス第4の都市で、なんとなく小ざっぱりしていて、かわいらしい町である。世界遺産にも登録された、昔の情緒をよく残す町だ。地学的には小高い丘やアーレ川に囲まれている。なので、丘からは町はこのように見える。


町のシンボルは熊らしい。町の入口に熊だけの動物園?があり、1頭だけいた。熊の一番有名な壁画があるのもこの町である。


この町で興味深かったのは、建物の1階部分が少し後退していること。そうすることにより、そこに通路ができ、雪が降っても安心して歩ける工夫がされている。


街並みは中世の都市の典型である「教会・広場・噴水・そこにつながる道」のセットでできているが、特に噴水がとても印象的だった。ベルンの歴史上の人物がモデルとなった噴水がいたるところにある。写真は「child eater」と、「ベルンでいちばん不細工な噴水」と友人姉が言っていた噴水である。


この町の一番のハイライトは立派な時計台。でかい。一番でかいらしい。かなり遠くからも認識できた。

限られた時間で効率よく最大限の場所を見る旅行をするには、絶対的に地元の友達がいないといけないということと、ヨーロッパの本当のクリスマスの過ごし方を学べた弾丸イタリア・スイスのクリスマスin2008であった。

2009年12月14日月曜日

bunkyo ward, tokyo, 文京区

i made a 3days trip to tokyo for the first time since i moved back to japan. this time, naturally, the main purpose of my visit was to have an interview (turned out to be almost unsuccessful) and to attend a sort of explanation meeting of a planning consultant agency. but at the same time, it was also natural choice for me to stay much longer than it should take. 

this time, i went to visit some areas where i had never been to before or i seldom visited when i was living in tokyo. for instance, i made my first time visit to tokyo uni, nakameguro, ebisu and daikanyama. above all, visiting tokyo university was much more exciting than i expected. 

tokyo university is located in bunkyo ward, inside of yamanote line. my image of inside yamanote is always associated with super-fancy expensive skyscrapers. but it was not the case at all around tokyo uni. compared to the uni i went, there were much less greenery nearby, but there was a beautiful pond and trees in the campus. the buildings were often low and old (with some exceptions). because of them reminded me of my life back in europe. the latest building that world famous architect tadao ando built was super cool looking, but not outstanding oddly from the surroundings, and it made me feel bit surprised. 

even though it was saturday, there were relatively many people both students and ordinary people. indeed the atmosphere in this campus was something special, it must be a popular destination for a walk for local people and some tourists like me.

after i walked through the uni, i headed the nezu shrine, which is also located in the same ward i guess. on the way there, the surrounding atmosphere was far from skyscraper image of tokyo, and was really cozy. there were so many ordinary lives. nothing fancy, nothing special. not many touristy people taking pictures everywhere except me and my friends. i became quite attracted to live around there if i could get a job in tokyo, although it is not necessarily happening yet.


nezu shringe was much much better than my high expectation. it was preserved as one of japan's national important treasures. it didnt have any commercial atmosphere unlike asakusa. and what i like the most was the path covered with numbers of shrine gates. it made me dizzy and happy at the same time. it was something extraordinary. 


i dont think this area is so popular for tourists, but i would highly recommend this area for tourists. because it can show a totally different aspect from tokyo tourists would have, and therefore they can feel the diversity of tokyo.

2009年12月8日火曜日

Zurich, Switzerland, チューリヒ

24日、クリスマスイブの日、ヨーロッパでは家族で過ごすのが慣例である。が、私の同世代の友人にしてみると、毎年同じ家族の催しには若干飽き気味みたいだし、どっちにしろ夜ご飯を一緒に食べるだけなので、朝からチューリヒまで連れて行ってくれた。彼はカフェでクリスマスカード作成に励んでいたけれど。チューリヒといえば、言わずと知れた世界の銀行の中心地である。実際、それだけだとしたら私はわざわざイブの日に行きたくなることはなかったと思う。が!!チューリヒは近年最新の文化トレンドファッションアートの発信地として栄えはじめているのである。その場所を見て、実際にクリエイティブキャピタルを感じることが、友人を訪ね、彼宅のクリスマスを楽しむこと以外でスイス観光で唯一熱望していたことだった。とにかく、チューリヒについて考察する。早速当日の日記を抜粋。

「イメージでは銀行ばかりの金持ちの町だったけれど、想像に反してとても素敵な町。古いオーガニックな小道が往来し、迷うのがとても楽しかった。ダダイズム発祥の町で、ダダカフェてのも面白かった。ベルリンのミッテみたいになりつつあるとlonely planetに載っていた通り、すごく面白そうな工場跡地もあり、1日があっという間に過ぎてしまった」とのこと。

考えてみれば当たり前なのだが、当然チューリヒはヨーロッパの由緒正しき歴史的な町であり、永世中立国にあるため戦禍を避けてきたので、中世の趣が見事に保全されている。それゆえ、まず町は見事に素敵である。湖を活かし起伏に富んだ町はその地理を活かした自然発生的な町である。噴水がいたるところにあり、それもまたヨーロッパぽいし、教科書通りに教会があってその前に広場があって、そこに小路が帰結している。ちなみに、チューリヒの噴水には決まって下に犬が水を飲めるよう、犬用の噴水?が備わっているそうだ。

前半はこうやって町を徘徊した。で、いよいよ期待を込めていた工場跡地エリアへ。センターからどれだけ離れていたかは、車を出してもらっていたせいでまったく覚えていないけれど、地図上ではすぐ隣くらいにありそうな場所である。都心に近い工場跡地は近年、アーティストが自由な空間、勝手の効く空間を求めて従来の都心部から移り住む傾向があるらしく、チューリヒのここもまるでその通りに発展していた。クリスマスイブであり、さらに昼間であることから、あまり活気はなかったけれど、とても素敵なカフェバーレストランショップクラブなどが見つかる。アートとして価値の高そうなグラフィティがいたるところに描かれており、そういった空間は何も起こっていなくても歩いていて興奮する。

歴史と伝統があるすぐ横で、最先端のトレンドを発信する町・チューリヒは、今後銀行の町としてだけでなく、世界中のクリエイティブクラスが注目する町になっていくことを確信した。

2009年12月2日水曜日

Lucerne, Switzerland, ルツェルン

22日の夜にチューリヒ入りをし、23日はちょっと遠出し、ルツェルンという都市へ。人口は5万ちょいだけれど、これはスイスの中ではかなり大きい都市である。早速日記にはなんと記したのかを紹介する。『とても古い素敵な街並みが残っている町だけれど、church bridgeは20年前くらいに燃えてしまったのを立て直したやつらしい。金閣みたいね。』・・・・なんも考えてないアホな記述であった。

実際に私が覚えているのは、この町に傷ついたライオンの有名な像のオリジナルがあることと、圧倒的に美味しいチーズパイを食べたことである。あれには驚いた。イタリアでイタリア料理が本当に美味しかったのに驚いたのと同様、スイスのチーズは本当に美味しいことを認識した。それか、そう感じるように何らかの脳内麻薬が分泌されるのかもしれないけれど。

天気は生憎の曇り空だったが、結果的にそれはまったく問題なくなった。むしろお陰でとても幻想的な景色を見ることができた。町はこんな感じである。


町をゆっくり見る暇はほとんど与えられず、ガイド&ホストの友達に言われるままにバスに乗り込む。おれもっと町みたいのに・・・なんて思っていたのに、大急ぎであった。何をそんなに急ぐのか。それは登山リフトに乗りこむため。ピラトゥスという山。実際、登っている最中でさえ、「登山なんていつでもどこでもできるのにー」なんて思ってはいたのだが、頂上に着いてからそんな不満はぶっ飛んだ。雲海の中にアルプスの山々が点在する、本当に幻想的な風景が堪能できたからだ。あまりの感動に、あんまり写真を撮れていなかったことにさっき気付いた。どうでもいい写真はたくさんあるのに、感動のしすぎでそういうこと考える脳が麻痺したようだ。


雲がなければピラトゥスからルツェルンやその奥の湖が広大に広がっていたのだろうけれど、こんなに素晴らしい景色が臨めたのでこれはこれで大満足であった。次回行く時は晴れていればいいなーなんて思う。いつになることやら。