2009年10月24日土曜日

st andrews, scotland、セントアンドリュース

セントアンドリュースは今回の旅行のベースとなった町である。寝袋持参で友達の家のソファーを借りて、ここから田舎へ田舎へと足を向けた。セントアンドリュースそのものも結構な田舎であったのだが笑

ここは日本人ゴルフファンの間では「ゴルフの聖地」として有名なオールドコースがあることで知られているが、古くはスコットランド最古、イギリス内でも3番目に古い大学University of St Andrewsがある町である。ウィキ情報だと、アメリカ独立宣言を名前を連ねる人のうち3人もこの大学を出ているらしいし、最近ではイギリスのウィリアム王子が卒業した大学でもある。

町の人口はだんだんと増加をしており、2001年に1万4千人くらいだったのが2006年には1万6千にもなっている。さらに、少人数制のセントアンドリュース大学の学生をあわせてたぶん2万数千人が住む町である。人口分類はスコットランド内ではとても稀有な町で、スコットランド住民全体の、スコットランド出身者の割合が87%であるのに比べ、セントアンドリュースでは62%しかいない。イングランド人の割合がかなり高いようである(セ-23%、ス-8%)。イギリス外出身者の割合もかなり高い(セ-12%、スー4%)。きっとこれは大学の関係なんだろうなーなんて思う。実際、友達の住む寮には6人住んでいて、内訳はイギリス人1人、オランダ人1人、マケドニア人1人、日本人1人、中国人2人だったし、イギリス人もウェールズ出身であった。これは人口統計からもさらにぶっ飛んだ割合になってしまっているけれど、こういう学生や大学関係者が多いのがこの町を国際色豊かなものにしているんだろうと感じる。

恐らくこの近くの村々にとっては中心街となっており、バスによるネットワークはそれなりに充実している。が、電車の駅はかなり遠い。町の中にはない。これには驚いた。が、この電車の駅・セントアンドリュース・さらにはダンディーというちょっと北西に行ったところにある都市を結ぶバスが15分に1本は走っているみたいなので、それほど不便も感じないのだろう。さらに、電車そのものの本数が少ないから住民は当てにしてないのかもしれない笑

さらに、残念ながら、メインストリートはかなりの歩行者(学生多そう)で混雑しているのに、車も自由に出入りできてしまうので、あまり気を抜いて歩けない。ただ、車の通れない小さな路地がいたるところに発生しており、そこは安心である。小さな村に比べれば、石畳の町並みも保存されており、車は走るけれどそこは譲らない!という妥協なのだろう。わからないけれど。

ツーリストの私が楽しんだのは、セントアンドリュース聖堂(跡)やセントアンドリュース城(跡)のような、中世の雰囲気を今に残す建築群である。east neukを歩いていたときにも感じたが、スコットランドは「城(跡)」の方が「城」よりも似合うなーなんて思ってしまった。失礼か。

また、とても羨ましいことに、友人の寮は砂浜から歩いて1分の立地で、とても美しい日の出を見ることができる。「月は昇るし日は沈む」のではなく、このfifeでは、「日は昇るし沈む」を体験できる。新潟から見える日本海に沈む夕日や、佐渡国仲の田んぼをきらきらと輝かせる夕日もそうだけど、太陽の神々しさを感じられる。そんな雰囲気をセントアンドリュースは提供してくれる。

east neuk of fife walk, from anstruther via pittenweem and st monans to elie 2

続編である。

アンストルターとピッテンウィーム、そして今回は訪ねられなかったのだけれど、Crailクレイルという村は、14・5世紀から損なわれていない漁村らしい。そういわれてみると、確かにそれぞれの村の形はとてもオーガニックな部分が多かったなーなんて感じる。

ただ、アンストルターは若干人口が増加してはいるものの、やはりそれぞれ高齢化の波が押し寄せているような感じだった。歩いているときに見かけた高齢者の割合はかなり高かった。学期の中休み週間だったからなのか、子どももいたにはいたけれど、きっと普通の週日はもっとひっそりしてるんだろう。一つの村だけではサービスが満足に得られないのだろうか、やっぱり住民の足は車に向いてそうに見えた。例えばピッテンウィームのメインストリートを歩いているときも、道は路上駐車場と化していて、歩行者はほとんどみなかった。暇そうな店番している人たちが外でタバコを吸ってるくらい。佐渡でも感じたけれど、理想の田舎住まいと現実の田舎住まいの間には、とんでもなく大きなギャップがあるんだろうな。


2009年10月22日木曜日

east neuk of fife walk, from anstruther via pittenweem and st monans to elie

スコットランドの旅4日目、セントアンドリュースからバスで40分ほど南東に下ったところにあるアンストルターからエリーにかけて、ハードコア散歩に出かけた。幸運なことに、スコットランドに1週間も滞在しながら、雨に降られたのは1日だけだったのだが、このハードコア散歩の日に振られたのはちょっとした不幸だった。とはいっても霧雨数十分が3回あったくらいだったのだけど。不幸と感じたのは、きっとこの日が1週間の旅の一番のハイライトになったからだろう。本当に素晴らしい町と散歩道で、とても考えさせられ、勉強になり、感動した。

私が歩いたアンストルター・ピッテンウィーム・セントモナンス・エリーの4村はどれもとても小さい。アンストルター(&ケラダイク)が3600人(微増中)、ピッテンウィームは1650人(減少中)、セントモナンスは1335人(減少中)、そしてエリー(&アールスフェリー)は962人で減少中である。人口は2006年のデータ。3村は2001年から比べいずれも100人も減っている。5年で約10%の人口減である。大変なことだ。

日が傾き始めたころ、西の空から晴れ始め、夕焼けに見とれていた際、エリーに退職後移住した御夫婦にコーヒーを誘われいろいろとお話を聞かせてもらった。もともとアンストルターとピッテンウィームは漁村で、エリーは富裕層の別荘の町だったらしい。実際、アンストルターにはスコットランドで一番おいしいfish and chipsが食べられるお店があるらしいし、ピッテンウィームでも船を修理しているおじさんたちを見かけた。エリーも、もともと富裕層の別荘地であったとはいえ、漁師もたくさん住んでいたらしい。が、最近は漁師は都市の富裕層に家を売り村を出て行き、夏以外は人のほとんどいない町になってしまったらしい。つくづく、抱えている問題はどこも一緒なんだなーなんて実感した。

そんなエリアで私が感動し勉強になったのは、村をつなぐ街道沿いの風景である。昔のお城の廃墟や工場の跡、風車なんかが点在していて、それ以外は牛がたまにいる牧草地と海。散歩道は整備が行き届いてる。1000人しか住まない過疎の村同士をつなぐ道が整備されていることに感動し、「きっと100年前にもこの風景はあって、100年後もこの風景はあるんだろうなー」なんて思ったら本当に感動し、勉強になった。保全することの大切さ、継続することの大切さ、次世代に繋ぐことの大切さ。そういうものを学ばせてくれたように感じた。また、御夫婦や後日出会った大学教授がunspoiledという言葉を使ってこのエリアを形容していたのが印象的だった。変わっていないのではなく、損なわれていない風景。適度な手入れが行き届き、悠久の時間が流れる空間。打ちひしがれた。

御夫婦にコーヒーを御馳走になった後、おじいさんと海辺まで出た時、夕焼けの中渡り鳥の群れがドーバー海峡を超え、フランスに向かって飛んでいくのを見た。渡り鳥を見れたのは圧倒的な偶然・幸運ではあるが、きっとこの光景も何百年も前から変わらずあって、今後も守っていく・守らなくてはならないものなんだなーなんて感動した。


そんな感動にひたってしまったEast Neukでした。

2009年10月21日水曜日

falkland, scotland、フォークランド スコットランド

スコットランド3日目はフォークランドへ。ここは人口1189人の村で、人口は微減している村である。セントアンドリュースからは1時間に1本のバスが出ており、それに1時間半程乗っていれば着く。東Fifeエリアで「Best kept small town (最善に保存された小さい町)」に認定されている村である。

ここを訪ねた理由は、旅行前の予習で偶然見つけた写真が魅力的であったことが行きたいと思うきっかけになったのだが、ここにある宮殿がナショナルトラストforスコットランドに指定されているとわかったことも1時間半もバスに揺られる覚悟につながった。実際行ってみて、もちろん感心したし勉強になった。

村の入り口にいきなり宮殿があり、さっそく入ってみる。とはいえ、時間(&関心)の関係で庭園だけだが。案の定すばらしい。現役世界最古のテニスコートが園内にある。今のテニスとは若干形式が異なるゲームみたいだけれど。庭園内の石垣にはコケとかシダとか生えてて、ありのままな雰囲気がとても好印象だった。きっとこうするのがイギリス式なんだろうなーなんて思う。イングリッシュガーデンもフランスガーデンの超人工的な幾何学模様に対抗するかのような自然さだし。もちろん計算された自然さなんだろうけれど。そういう文化なんだろうなーなんて感じた。

庭園鑑賞をした後、町に出てみる。とはいえ、あっという間に一周できてしまったが。関心を引いたのが、まちづくりへの工夫・貢献である。もちろん建築物や町並みは素晴らしい。が、それをさらに際立たせるのが村民の工夫だった。素敵な植え込みやサインなんかで雰囲気は全然違うものになるんだなーなんて認識した。

そして、村の奥にあるfalkland estateという自然保護区へ。ここはナショナルトラストではないけれど、やっぱりやっている内容は保護のようだった。ナショナルトラスト以外にもかなり多くの団体が古い大切な伝統や資源を守る活動をしているみたい。ソフトの部分の保存活動は見なかったけれど、ハードの部分での意識の高さをかなり実感した。昔スコットランドのお姫様がフォークランド宮殿に来る際に、この森を歩くときはお姫様ではなく田舎の普通の女の子に戻れる場所だったらしい。ここを歩いているときに、私の尊敬するCWニコルさんが日本の森を再生したくなる気概がなんとなくわかった気がした。エリアは無料で開放されており、地元の人が多く散歩に来ていた。隣に全寮制の男子校(イギリスのパブリックスクール?)もあるせいなのか、若い人もちらほらいて。森や古い橋・トンネルが厳かな雰囲気を出していただけでなく、たまにあるサインも岩を彫ったシンプルなもので、これもすごく素敵だった。


こんな村なのに主だった道は電柱は(当然のように)地中化されていて、たまに一本電柱がにょっきり生えてきてはそこから電線が各家に分けられていた。石畳の素敵な界隈も残っていた。ただ、当然ながら人々の移動は車がメインのようで、いたるところが路上駐車地区になっていた。車に都合がいいからか、コンクリ道路もメインになっていたし。きっと歴史ある町のコンクリ道路はイギリス人にとってはかなりの妥協なんだろうけれど、理想だけじゃ村では住めないんだろうなーなんて感じた。

パースにある庭園やフォークランドの宮殿を見て帰宅した後、日本ナショナルトラストをチェックしてみたのは言うまでもない笑 

2009年10月20日火曜日

Perth, Scotland、パース スコットランド

論文を9割9分仕上げて10月中旬スコットランドへと向かった。一応の名目はセントアンドリュースに住む友人を訪ねることだったが、スコットランドの小さな町や村を訪ね歩き、イギリスのまちづくりや過疎地域の実情を学ぼうなんていう学術的な目標もあったりして。結果的に、とてもいい勉強になった。そんなわけで、まちづくりに関して少しずつ気になったところを思い出しながら紹介していきたい。最近の書き込みはなんとなく日記のような旅行記のようなものになりつつあるし、まるで英語で書かなくなってしまったけれど、まーそういうのはとりあえず気付いてないふりをする。

友人との集合場所はパースという町にした。エジンバラとセントアンドリュースの真ん中らへんのように見えたためそうしたのだけれど、実はそうでもなかったりした。このパースは有名なオーストラリアのではなくて、スコットランド中部に位置する、人口4.3万人ほどの都市である。エジンバラからは電車を2本乗り継いで、約1時間半の距離である。直線距離だと短そうに見えるのに、電車だと大回りをするからちょっと余分に時間がかかった。ウィキ情報によれば、昔はスコットランドの首都であったみたいだし、この規模の町はこのエリアではかなり主要な町のはずなので、電車でもバスでも行けて、交通の便としてはスコットランド内では全然悪くない方だと思う。

町中は歩行者専用道路が整備されており、日本の4万人都市では考えにくい歩行者の量があった。これはヨーロッパではけっこうよく見かける。5万人くらいの都市のセンターは多くの人でにぎわっていることが多い。これは日本じゃちょっと想像ができない。不思議である。

私たちが地図を見ながら困惑していたら街頭ギタリストのお兄さんが話しかけてくれて、町に関するいろいろな話を聞かせてくれた。産業革命や工業化が進んだ結果、ワーキングプアや農村の空洞化なんかが起きててどうのこうの・・・と。どの国も抱えている問題は同じなんだなーなんて痛感した。

町の真ん中をthe River Tayという川が流れていて、両岸をいくつかの橋がつないでいる。中でもSmeaton's Bridgeは1766年に完成された立派な古い橋である。町の中心部からこの橋を渡って対岸へ向かった。

対岸にはsculpture trail (彫刻街道)があり、自然や芸術を楽しみながら歩ける工夫がある。素敵なイングリッシュガーデンに彫刻が点在しているのだ。いくらかつての首都であったとはいえ、人口たったの4万人の町がこんなに素敵なインフラを整備できているのは、やっぱり文化の違いなんだろうか。勉強になるし恐れ入る。

この街道を歩いた目的だったのがナショナルトラストforスコットランドの一つであるBranklyn Gardenを訪ねることであった。旅を始める当初は、まるでナショナルトラストを見るという意識はなかったのだけれど、偶然空港で目にしたスコットランドのナショナルトラストのガイドブックが、「せっかくだから見に行ってみよう」という意識にさせた。庭園はすでに冬期開園時間になっていたのか、入口には誰もおらず、ただ「入場料を箱に入れてください」的な張り紙がしてあるだけだった。庭園はどこか日本庭園(というか六義園)を思い出させる造りになっていた。どこまでも手入れが行き届いているわけではなく、そういう適当さ?自然さ?が堅苦しくなくてよかった。私たち二人だけしかいないと思いきや、帰りがけには恐らくおじいちゃんおばあちゃんと孫二人や、三脚に立派なカメラを持った写真家もいた。さらに、一応オフィススペースでは2人くらいパソコンをいじってる人もいたし、庭師ぽい人も数人いた。

最後にthe River Tayの中州の島を少し歩き、話を聞かせてくれたギタリストに会おうとまたセンターまで戻るも会えず、ちょっと本屋を冷やかしてからセントアンドリュースに向かいました。

2009年10月3日土曜日

flemingsberg, フレミンスベリ

昨日はクラスメイトのお別れ会のため、ストックホルム近郊のフレミンスベリへと向かった。ストックホルムリージョン(州?県?)はセンターであるストックホルムのインナーシティーを中心とし、他に7つのコアがある、多核型都市であるが、フレミンスベリはそのコアのうち1つである。カロリンスカ大学という世界でもトップクラスの医大の大学病院や、大きな大学が一つある。コミュータートレインでストックホルムセンターまで約20分とまーまーの距離である。実際に行ってみるまではただそれだけのイメージだった。

が、行ってみて驚いた。その大学&大学病院もモダンないい雰囲気の建物で、いい感じなのである。確かにスケール感はものすごいでかいのに、歩行者と自動車の道のレベル分けをすることによって歩行者も快適に歩けるようにされているし、道路もスケールの割に、片道1車線しか供給されておらず、結果的にあまり車の流れが激しくないようにされていた。たぶん、バスがメインの道で、一般車両は周りのバイパスを走れるようになっているのだと思う。もちろん、金曜の夕方ということで、平日の様子とは大きく異なるのだろうけれど、この高質なインフラはラッシュ時でも問題なく対応できると思う。

また、建物群は恐らく、60年代に100万のアパートを造ろう的なポリシーの、悪名高きミリオンプログラムで建てられたアパート群である。が、圧倒的に素敵なのである。きっとかなりの金額をかけられて改修されたのか、全然味気なくないのである。建物の外壁を様々な色で装飾することによって、無機質な箱が急にかわいらしく見える。また、新しく違う箱やバルコニーを横付けすることにより、より複雑な形の建物が簡単にできあがり、これもまたいい工夫だと思う。円形の窓もかわいらしいし、それが移民系住民の衛星放送受信アンテナとすごくマッチしていて、偶然なのかもしれないけれど、考えてるなーなんて思った。窓辺をうまく装飾して外を歩く人の目を楽しませるのは、きっとこの国の文化なんだろうけれど、それもなんとなくエキゾチックな装飾が施されていたりして素敵だった。

さらに、建物を取り囲む空間もまたナイスで、野ウサギなんかも出てきた。人が快適に暮らせる工夫もたくさんされていて、かなり感心した。

さらに、移民コミュニティーのニーズを満たす食材ショップも充実しており、歩いたり食べたりショッピングしたり、普通に1日楽しめる空間だと感じた。

日本でもこういった感じの集合住宅・団地はそこらじゅうにある。けれど、千里しかり多摩しかり、かつて栄えた面影はあまりなく、今は高齢者社会になってしまっている、というのを聞いたことがある。その中で新たな取り組みとして、例えば、いざという時に助けるという条件?で大学生を格安で住まわせている集合住宅もあるらしい。そういったソフトの取り組みももちろん有効だけれど、身の丈に合った範囲内での思い切ったアップグレードを敢行することにより、また若い人にとって魅力な空間を創出できるようになると思う。もちろん、スウェーデンの集合団地がどこもこんなに見た目に魅力的であるわけでは全然ない。むしろ、授業では「ミリオンプログラムは失敗だ」的な内容をインプットさせられている。けれど、実際にこういった、少なくとも私の眼には成功と映るような事例もあることは間違いない。フレミンスベリはきっと、老朽化&住民転出&高齢化に悩む様々な集合住宅にとって、すごくいい見本になるように感じた。

2009年10月2日金曜日

roslagstul, ロスラグストゥル

ロスラグストゥルはストックホルムインナーシティーの北東部に位置する交通の分岐点で、うちの大学にもすごく近い。私が初めてストックホルムで住んだ、通称「コンテナ」と呼ばれる留学生寮もここにある。ちなみに、それは本当にコンテナでできていた寮だったため、コンテナと呼ばれていた。とにかく、ソルナからの帰路、そこを通ったのでちょっと書いてみる。

交通の要所であるロスラグストゥルは、当然のように車の通りが激しい。がんがんくる。おかげで、歩行者自転車用信号が青になるのに時間がかかる。これはしょうがないか。現在ストックホルムの地下バイパストンネルを工事中で、それが完成されたらきっとここの渋滞は幾分か緩和されるのだろうけれど。

そんな車の流れの絶えないエリアではあるが、すぐ後ろには巨大なhagaparkenという公園があるので、けっこう癒しはすぐ得られる。

今回はハガパルケンではなく、さらにロスラグストゥルに近い一つの丘を紹介する。あの忙しいロータリーのすぐ裏にはこんな素敵な緑の回廊がある。


その奥にはひっそりとCarl Eldhs Ateljemuseumがある。carl eldhはスウェーデンを代表する彫刻家で、彼のアトリエが美術館として使われているのである。というわけで行ってみた。

ひっそりと古いいい建物が並ぶ奥に、他とは幾分か異なる建物があり、これこそが美術館である。

が、閉まっていた。張り紙がしてあり、読んでみると、「トンネル工事の影響で、当分の間休館します」とのこと・・・。実はこれが2度目の訪問だったのだが、確か初回もその理由で閉まっていた。理由を忘れていた。事実、私のコンテナ寮もしょっちゅう工事で使うたぶんダイナマイトの影響で揺れていたし、大学もたまに揺れている。そんな揺れが彫刻の美術館を襲ったら、間違いなく展示品は粉々になる。観客が巻き添えを食らう。仕方がない。

バイパス工事でストックホルムの車がバイパスできるようになるのはいいけれど、それが完成するまでは、この美術館を訪問したい人も、時間的にバイパスしなくてはならない。どうやら、今回のストックホルム滞在では残念ながら縁がなかったよう。閉館中の美術館の隣に一つだけ置いてあるCarl Eldhの彫刻をはじめ、見れない分、ストックホルムを歩いて探してみることにする。

solna, ソルナ

昨日事務手続きの関係でストックホルムのお隣の自治体、ソルナへ向かった。ここはストックホルム最大のスタジアムがある以外は、典型的な郊外の町である。とはいえ、きっとスウェーデンの感覚ではまだまだ郊外というよりはストックホルムの延長上にある町なのかもしれないけれど。

ここの町の中心部の特徴は、何といっても巨大ショッピングモールである。そして、そこに人を運ぶための巨大な駐車場や道路であろう。なんとも郊外的である。ファーストフードチェーンも大きな駐車場付きである。やっぱりこれも郊外の特徴のように感じる。

とはいえ、公共交通機関が発達していないわけでは決してない。この巨大ショッピングモールの前にはソルナバスターミナルがあり、それなりに便利そうである。地下鉄でストックホルムセンターまでもすぐに行けるし、長距離用通勤電車の駅も近くにある。少なくとも地下鉄は平日は夜中の1時くらいまで、週末は一日中走ってるので、かなり便利である。なので、パーク&ライドしている市民もたぶんいる。いい傾向である。さらに、確かに道路のスケールは大きいけれど、それに見合うだけの自転車道路も整備されている。これはかなりありがたい。実際に、私も自転車で行ったし、寄り道とかしなければストックホルムセンターまで30分ほどの自転車距離だから、きっと多くのサイクリスト通勤者もいると思う。これはわが国の道路事情も参考にしてほしい。とはいえ、たとえ自転車道路ができたとしても、あんなに信号だらけの町だと自転車もこぎにくいか。


帰路、昔一度だけ行ったことのある工業地域にも寄ってみた。その時はものすごく大きなガレージパーティーで、ストックホルム最高のアングラシーンを体感したように記憶していたのだが、実際に昼に行ってみると、何の変哲もない工業地域のままであった。こういった都心にそこそこ近い工業地帯がまだそのまま残っている点で、ストックホルムはまだまだ成長の余地があるんだなーなんて思う。

そんなソルナでした。