2009年9月29日火曜日

from home to kth, 通学路紹介

なんだか、通学路なんかを紹介するのは、ここの学校生活が最後に差し掛かっていて、些細な日常でさえ愛おしいような気にさせるけれど、実際にそうだからしょうがない。基本的に、私は自転車登校をしている。豪雨や雪のときはバスや徒歩だけど。自転車で10分弱くらいの道のりです。寮は8階建てのアパートの最上階。写真の一番手前の建物です。個人情報をアピール。

で、そこからこんな雰囲気。すっかり秋ですな。

この後、大通りにでる。当然自転車道路が整備されているから快適にチャリ通できる。転がっているのはどんぐり。ちなみに、道路の右には乗馬場、左には軍隊の何かの施設(約2年住んでて未だに詳しく知らないw)があります。


乗馬場の後にはスポーツ施設があり、そこで右折する。ちなみに、ここは夏場はサッカーの練習場、冬場は屋外アイススケートリンクになります。バドミントンホールもある。道路隔てて反対側に私の通うプールや、大昔ストックホルムがオリンピックをした際のメインスタジアムがある。

で、こういった施設を過ぎたら森に入る。ここでは保育園の園児たちが毎日のように遠足?に来ていて、市民が散歩やジョギングをしている。私はそういった人々の営みをのんびり眺めつつ学校に行く。

森を抜けると学校にたどりつく。

学校内にはなぜかまるで関係ない人達のアパートがある。学生向けでもなければ教職員用でもない。なんとも不思議な空間が一部にある。それを過ぎると

火を見るよりも明らかな「V校舎」。ここはおそらく2番目によく使った校舎である。

その隣にある建物が私たちの中では「シセーコンピューター室」と呼ばれる建物。ある授業で一度そのコンピューター室を使ったのだが、クラスメイトのシセーという30代女性のみがなぜか場所を知っており、それ以外の全員が堂々と間違った教室で待機していたことがあることからそう呼ばれている。ちなみに、シセーさんはきっとそう呼ばれいていることを知らない。写真はその外にあるくつろぎ空間。9月に入りそれまで使っていたコンピューター室が授業で占拠されるようになった後、論文の最後の追い込みをここでねばっていた。

で、最後にVのようにはっきりしていない「L校舎」。ここが私の学び舎。運がいいと、わたしのアドバイザーが外でタバコを吸いながら出迎えてくれる。そんな時、私はちょっときまずい思いをする。今日も、「ヘイ、最後の仕上げは済んだかい?」なんて聞かれてしまった。まだなのに・・・。

こんな感じの道を毎日往復しております。この日々もあっという間にあとちょっとでおしまい。

新しい人生がどこかで始まるのはとてもドキドキワクワクするけれど、この暮らしとお別れするのはなんとなく悲しい。

vaxholm 2nd visit、ヴァックスホルム再訪

先週末クラスメイト4人(2日本人、1中国人、1オランダ人)でヴァックスホルムへ遠足をしに行きました。目的は、まちづくりを志す4人の学生が古き良きスウェーデンの街並みを研究すること・・・なんて考えていたのだけれど、それは最初のうちだけで、だんだんとただ観光して、歩いて喋って笑って食べて、となっていったのは言うまでもない。。。4人のうち1人がここにある中華レストランでバイトしてるから行ってみるというのが前提だったし、別の1人のタイムスケジュールがきつきつだったこともあり、結果あまり考察する・視察をするなんてことにはならなかった。

が、前回の(http://hiyorigeta-ryot.blogspot.com/2009/07/vaxholm.html)時に気付かなかったこと、というか気にしなかったことがあった。このブログを始めた当初、口酸っぱく行っていた道路について、実はかなりコンクリだらけのセンターだということに気付いた。多少の石畳ゾーンはあるが、確かにこれはあまりいい感じじゃない。メインストリートが駐車場になってしまってるのも感じがよくない。さらに、案の定、夏に比べると圧倒的に人通りが少なかった。

それでも、相変わらず街並みはかわいい。

素敵なお店も散在している。こういうナイスなお店にはちゃんとお客さんも来てたし。これは日本でも、辺境の地にあっても、レストランやカフェ、ショップが素敵だったらお客さんが車を1時間走らせてでも訪ねて行くのと同じだなーなんて思う。要は、工夫です。

私じゃない方の日本人はすでに松江にあるまちづくりコンサル・シンクタンク会社で働き始めていて、彼女曰く、あんなにナイスなお店は松江にはないらしい。私もどこにこの先住み始めるかはわからないが、日本の大都市以外で北欧のかわいらしいブティックみたいなショップが散在している町ってなかなかないかもしれない。なければ作ればいいんだけどさ♪ ちなみに、そんなショップで、デザインなんかにはまるで興味のない2人の友人が商品を物色しているのはなんともおもしろい光景だった。

センターをちょっとはずれるとコンクリでさえ舗装されていない道路になっていた。湿気っぽくない季節ほこりっぽいだろうなーなんて思ったりするが、味気ないコンクリの道よりはよっぽど素敵だとも思った。そして、なぜか、「ご自由にお持ちください」の洋ナシが民家の角に置かれていて、私以外の3人が満足げに食べていました。


そんなヴァックスホルムでした。

2009年9月14日月曜日

ストックホルム

論文が一段落つき、一昨日土曜に約1か月ぶりくらいにカメラを持って都心側へ向かい自転車を走らせた。いかに学校と家の往復の毎日だったかに少し驚いた。

まず行きつけの図書館の隣にある公園に農作物市場が出ていてけっこうな賑わいを見せていた。農作物の生産者と対面販売である。なんだかわくわくした。佐渡でもAコープの駐車場でやっているらしいけれど、大都会でこういうのってあんまりない。「産地直送」とか「私が育てました」とかいう写真はあっても、直に農家の人たちとお話して野菜を買える機会はあんまりないなーって思う。こういう機会がもっと増えれば、消費者が多少高いお金を出しても生産者を支える仕組みができていくと思うし、農業への魅力にもつながる。

続いて、旧市街を抜けようと思ったら、市民ハーフマラソンがあるみたいで健康志向ストックホルム人たちでごった返していた。エコ農作物市場も健康志向なストックホルム人のニーズをうまく把握したいい戦略だと思う。

センターのセルゲル広場には多国籍マーケットが開かれていて、いろんな国の食べものや雑貨やらが売られていた。

最後に、案の定、帰路、ランナーに道路を占拠され、ちょっと大変でした。ものすごい人数。急ぎだったらイライラするんだろうけれど、そのイベントに参加する人々や観客の活動をのんびり見ながら帰れました。東京マラソンは当選確率が8倍?とかってニュースに載っていた気がするけれど、きっと町中を車に邪魔をされずに走るのって楽しいんだろうなー。私はジョギングよりも散歩とサイクリングの方が好きだけど、そのうちこういのにも挑戦したい。

修論に忙殺されていた・・・わけでもないと信じたいのだけれど、しばらく町に出てのんびりいろんな人々の営みを傍観する喜びを忘れていた気がする。もったいない。まだ論文が終わったわけではないけれど、だいぶ時間ができるはずなので、しっかり町歩きを楽しみまくりたいと思う。

2009年9月4日金曜日

sado, niigata. 佐渡、新潟 その⑩

順番としてはちゃんとインタビューのまとめを載せるべきなんだろうけれど、勢いにまかせて今回はやっと終わりが見えてきた修論の結論を紹介する。

私の修論の目的は、シュリンキングシティーと呼ばれる人口減少が進む都市について知識を深め、そこで何か可能性を見つけてそれを育てるためにはどうしたらいいかを考える、といったようなも。そして、そのためには、調査を始める前から、「スマートグロース」「クリエイティブ」と「都市ブランディング」という3つのコンセプトがカギになる、と仮定して研究をし始めた。

で、その結論というのが、約50ページ端折って、佐渡のブランディングの提案になった。で、私が行きついた提案というのが、「Sado, the city of rediscovery」、つまり、「再発見の町・佐渡」というブランドである。けれど、この「都市名、the city of~」というのがあまりにも多すぎで嫌なので、「ReDiscover Sado」にした。で、sとSに佐渡島の形を使った。RとDを大文字にしたのはDiscoverとRediscover、発見と再発見の両方をアピールさせるため。

で、なぜ再発見かというと、いくつか理由ある。ひとつ目は、いつか書いた、佐渡観光協会のPure Japanというのが関わってくる。このPure Japanというのは、「日本の伝統的な自然との共生が・・・」というものらしい。これは、かなり多くの日本中&世界中の人々が忘れてしまった価値のように感じる。それを訪問者は佐渡で再発見するのである。また、アンケートで何名の方が仰っていたように、佐渡の良さを知らない佐渡市民に、佐渡の良さを再発見・再認識させる、そんな意味もある。さらには、佐渡外部の人々にまず佐渡を発見してもらい、さらにもっといろんなものを再発見させる、というリピーターを増やす戦略も含まれる。さらにさらに、人的資源である創造性を活かすことが経済発展の基礎になる、というのを大人気学者フロリダが唱えているが、その創造性(クリエイティブ)を経済発展のためというよりも地域社会のために活かすという素敵な人々である、社会起業家の価値やその役割を発見・再発見できる島にする、というのもある。最後のは佐渡でお世話になったTさんにもらった概念であり、修論の最後で大活躍している。

で、スマートグロースがどこにかかってくるかというと、このプロセス全部である。ただ、佐渡はシュリンキングシティーなので、スマートシュリンケイジという新たな考え方を創りださなければならない。スマートグロースは、量的な成長(人口や経済)が質的な低下(環境破壊とか)を招くのを防ぎ、その両方を向上・バランスさせるものである。なので、逆に、スマートシュリンケイジは、質的な成長(空間の有効活用の可能性)を量的な成長(経済発展)に結びつけるという概念であると仮定し、その空間の有効活用をクリエイティブが刺激する、そんな感じで、やはりブランディングに活かす。

ちなみに、このスマートシュリンケイジという考え方、まだ実例はない。ryot発である。ただ、ちゃんとサポートもある。NIRAという日本のシンクタンクレポートでも縮小都市でのスマートグロースを提案しているし、2009年5月にはEuropean Commissionが「SHRINK SMART」という3年間のプロジェクトを7カ国合同で開始したばかりである。なので、もし、本当に佐渡のことを考えるなら、佐渡をスマートシュリンケイジの世界最初の都市であることを宣言し、さらにそれを実現させるための効果的な都市ブランディング戦略(、私の場合「ReDiscover Sado」)を宣言すべきなのだ・・・。

(ちなみにちなみに、スマートシュリンクというのはあるようだ。まだまだググってもヒットはほとんどないくらに少ないけれど。これは「持続可能な地域の形成を目指す成長管理を意味するスマートグロース(Smart Growth)の対語で、絶対的な人口減少下で住民の生活の質(Quality Of Life)を維持・向上していくための地域マネージメント手法を総称する概念。地域が、積極的に公共事業や公共サービスの供給を効率化する一方、特異性を見出して地域間の競争力を確保するなど、「賢く、縮小していかなければならない」ということを意味している 」(http://www.machinakasaisei.jp/project/terms/index.html) というものらしい。ちょっと似てるようではあるが、違いは生活の質・質的な成長の向上を目的とするか、手段とするか、というところに違いがある。偉そうに言えば、シュリンクの方は生活の質の維持・向上の達成のためには「効率的」な公共が介入しなくてはだめそうな雰囲気が漂う。逆に、シュリンケイジの方は、質的な成長をチャンスととらえて、それをソーシャルビジネスに結びつけるという、自立心&野心を失わない。例えば、公共交通を考えると、シュリンキングシティーでは公共サービスの効率を求めるが故に誰も使わない&1日に数えるほどしかないサービスになってる。これをビジネスチャンスと捉えられたら、それは社会起業なんだと思う。もちろん、ビジネスと捉えるというのが、いわゆる金儲けのビジネスではなくて、地域に貢献するためのビジネスである必要があるけれど。というか、そもそも比べ方が間違ってる気がする。スマートグロースが量と質の両方を向上させるために効率を上げ、そのためにコンパクトシティーを目指すというのは圧倒的に正論だと私は思うが、シュリンキングシティーにおいて、密度はかなり低くなっているのに、そのことに関しての比較がなされないのであれば、それはおかしいし、言及がないのも意味がわからない。この低い密度こそ、活かすべき手段なんだと私は思う。まー、でも地域間の競争力とか、賢く縮小というのはとてもいい。もちろん、大都市との補完性とセットであるべきだと思うが。)

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という支離滅裂な議論を今片付けてます。言うは易し。こんな理想的なことができれば苦労しないんだろうけれど。もちろん、論文にはもっと違う肉もついてます。もっとサイエンスな肉。

ちなみに、なぜ再発見の町・佐渡ではなく、英語でやるかというと、それは当然、そっちの方が圧倒的な量にアピールできるからである。日本で人気のゆるキャラでは外にアピールできない。もちろん創っちゃいけないわけではないと思うけれど。

なぜか最近全身気だるくて、すぐに疲れて眠くなるのに、いざ寝ようとすると全然寝れない、という理不尽な状態が続いております。論文の締め切りがいよいよ近づいてきているストレスなのかしら。で、今回は寝ようと努力したのにどんどん頭が冴えてきてしまった勢いで書いたので、いつも以上にぐちゃぐちゃなのをお許しください。